令和6年能登半島地震により被害を受けられた皆さまへ
心よりお見舞い申し上げます。
◎年忌法要から学ぶこと
昨年12月20日(水)に前坊守の十三回忌を行いました。
早いもので12年が過ぎ、その間にさまざまな変化がありました。
祖母が亡くなった翌年に私自身の結婚があり、三回忌を行う頃には長女が産まれて半年が過ぎていました。
今回の十三回忌では9月に誕生した長男も一緒に参加することができました。
世間では「死んだらどうなるの?」という問いに対して、「死んだら終わり」とか「死んだら生まれ変わる」、「死んだら仏さまになる」など様々な議論がされることがありますが、実際に死んだらどうなるかは誰にもわかりません。
ただ、肉体という形作られたものは火葬によって一旦消え去り、原子レベルでまた別の形へと構築され変化していきますが、いのちや思い出という形のないものは、残された我々の中に存在し続けるでしょう。
仏事とは姿・形にとらわれず、亡くなられた方を縁として、手を合わせる(仏さまの教えに出遇う)ことではないでしょうか。
その亡くなられた方が、残された私たちを阿弥陀様の前に連れ出すことが、仏さまとなった最初のはたらきかけであり、そういう意味では、「死んだら仏さまになる」という言葉は、決して間違いではないでしょう。
今回、子どもたちもきちんと十三回忌で手を合わせてお勤めすることができました。
そのきっかけをくれた祖母に感謝したいと思います。
子どもたちも何か感じてくれたらうれしいです。
4年後の十七回忌では、どのような受け止め方になるのかも楽しみです。
◎あの鐘を鳴らすのは…
大晦日に除夜の鐘を撞きました。
一昨年から二人体制となった看板娘たちも慣れた様子でお手伝いをしていました。
昼頃には雨が降りどんよりとした空模様でしたが、夜には回復し寒空には星が輝いていました。
また今年は暖冬ではありますが、この日は冷たい風が吹いており、大晦日らしさを感じました。
前年より14回多い197回の鐘を鳴らすほどの大勢の方にご参加いただきました。
皆さまありがとうございました。
除夜の鐘と言えば、「108回」鐘を撞くことが有名で、108個の煩悩を払うためという説があります。
また、年内に107回、年が明けたタイミングで最後の1回を撞くというルールもあるそうです。
しかし、萬念寺では時間のゆるす限り鐘を撞きます。
心を落ち着かせ、優しく鐘を撞きましょう。
澄んだ鐘の音が、悩みや苦しみを取り去り、新しい年への活力を与えてくれることでしょう。
また、毎年「どのように数を数えているのですか?」という質問を受けます。
私が小さい頃から使用しているそろばんで一打ずつ数えています。
しかし、写真にあるように下の珠が5つのそろばんを使用しています。
下の珠が5つのそろばんは、江戸時代から昭和の初め頃まで使われていたそうです(中国から伝わってきた室町時代では、上の珠も2つあったそうです)。
計算しやすいためとのことですが、4つの珠で慣れている我々にはなかなか理解できませんね。
道具は私たちに合わせて、より簡単かつ手軽に操作できるように日々進化していきます。
それを使用する側も、常にアップデートし続けていかなければなりませんね。
同時に、古くからあるものも大切に活用して残していきたいですね。
◎秋~冬の行事
【九月定例法話・秋季永代経】
9月28日(木)に荒山淳師による定例法話をいただきました。
10月5日(木)に秋季永代経を執り行い、荒山信師による法話をいただきました。
ちょうど定例の日の朝に長男が生まれ、皆さまにご報告する運びとなりました。
永代経にて披露させていただいた長男の名前には、『遥』という漢字が入っています。
私たちは、かねてより「先達の願いをこの先へ、過去から未来へつないでいく」ことを大事に考えております。
『遥』の字には、「遠い、長く続いている様子」という意味があり、「私たちの願いをまた次の世代へ繋いでいけるように…」と思い名付けました。
このようにお話しすると、いたく大層な名前だと思われますが、誰にとってもそうであるように、我が子にも長い歴史の一部を生きていると感じて欲しいものです。
【報恩講(逮夜・結願日中)】
12月1日(金)・2日(土)に渡り、報恩講を執り行いました。
お手伝いをしてくださった皆さま、ご参詣いただいた皆さま、ありがとうございました。
【修正会】
令和6年が始まりました。
本年も萬念寺をよろしくお願いいたします。